YUMI SUGIHARA
文化的差異が特定の集団を区別・排除・特別扱いするためにいかに都合よく使用されるか,
言語の使用や学習の現象がいかに社会の権力構造と関わっているか,
言語教育や多文化/異文化間教育はそういった状況をどのように変えていけるのか?
専門と関心の領域は、
批判的応用言語学です。より具体的には、多言語多文化共生に向き合う日本語教育、文化的差異が生む不均衡な力関係に向きあう異文化間教育を志向して、研究と教育実践を行っています。
私の研究と教育実践の原点は、
大学生の時に、広島の自動車関連工場で働く南米出身日系人のコミュニティで行っていたフィールドワークです。地域の言語教室で知り合った日系人家族たちと共に時を過ごしながら、彼らが複数世代にわたって文化間移動したことによって生じるアイデンティティの葛藤にフォーカスしたエスノグラフィ研究を行いました。その後、青年海外協力隊日本語教師として中国・広西チワン族自治区の単科大学に赴任し、多言語環境で生きる学生たちと共に、私自身も4言語を使って2年間を過ごしました。帰国後に進学した大学院では、日本の地域社会で生きる外国籍住民が日本語母語話者住民と学び合う多文化交流会を運営しながらエスノメソドロジー研究を行いました。こうした経験の中で、文化的差異が特定の集団を区別・排除・特別扱いするためにいかに都合よく使用されるか、言語の使用や学習の現象がいかに社会の権力構造と関わっているか、言語教育や多文化/異文化間教育はそういった状況をどのように変えていけるのかなどといった問題意識を持つようになりました。
SFCで多様な学生たちと出会い、
特に研究会では、国や文化の境界が自明ではない人生を生きる学生たちの葛藤を目の当たりにしました。親が海外から来日し、日本で生まれ日本の公立学校で育った学生たちは、日本語と日本文化を自明の前提として社会化される集団の中で幾度となく繰り返されてきた「異化される」自分や、日本社会の中で選択肢が広がらない同胞の子どもたちの生活に深い葛藤を抱えていました。彼らと同様に、ムスリム2世の学生は「いわゆる日本人」であっても学校や社会で異化されてきた葛藤を持っていました。ミックスルーツの学生も。研究会のメンバーの他の学生たち − 留学生、両親も自身も日本で生まれ育った日本社会マジョリティの学生たち、英語で教育を受け英語優勢の世界状況下で特権を持つ帰国生といわれる学生たち − は、こうした葛藤に呼応して、社会を変えていくために自分に何ができるかを考える場を醸成してくれました。
日本社会は、日本人とは、どのような構成員で成り立っていくのか,
日本語はどのような使用者を想定して、どのような未来を描いていくのか,
言語教育や多文化/異文化間教育は社会をどのように変えていけるのか?
カナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)に、
こうした問題意識を追究するため、批判的応用言語学のパイオニアでスペシャリストの久保田竜子先生に受け入れていただいて滞在しました。カナダの多文化主義は、多様な文化と言語(特に、先住民、ヨーロッパ系移住者、他地域からの移民)が交渉する葛藤と闘争の場であることを実感しました。そうした場に公正さを求めて関与する言語教育や成人教育を志向する、UBCの教育現場で、刺激に満ちた1年間を過ごしました。
帰国後、再スタートした研究会は、
ますます多方面に発展しそうで今後の展開がとても楽しみです。